①信仰とは何かを考える。
②自分が赦すだけではなく、赦されていることを知ることが大切な一歩。
・からし種は1~2ミリの小さな種で、本当に小さなもののたとえです。
・「わたしどもの信仰を増してください」と信仰の「量」を問題にした弟子たちに対して、イエスは「信仰とは量や大きさの問題ではないのだ」と言うことでしょうか。
・信仰の道は、神が働いていてくださる。そこに自分をゆだねていくという世界です。だから自分は何もしなくていい、というのではなく、だから自分にできる精一杯のことをしていくのです。
・七の七倍は単純な四十九回ではなく、無限にという意味。
・西洋諸国では一般に、小型の豆本タイプの聖書を「からし種」と通称している。
「船頭多くして船山に登る」ということわざがあります。指図する人が多過ぎるとかえって統率がとれず意に反した方向に物事が進んで行くことの意味です。それでは、船が山に登らないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。とても簡単なことです。一人のリーダーに信頼してついて行けばいいのです。
さて、今日、イエス様は御自分の弟子たちに信じることの大切さを教えてくださいます。弟子たちが「わたしどもの信仰を増してください」と言われたとき、イエス様は「あなたがたにからし種一粒ほどの小さな信仰があれば、どんなことでもできる」と答えられました。からし種は聖書の中で一番小さな種としてでてきます。弟子たちが信仰が増えていくことを願ったとき、イエス様は信仰は多いとか少ないかではなく、「ただ信じる心」があればいいと言われるのです。そして、どんなことでもできると言われるその言葉には、奇跡的な力が神さまを信じる者たちに与えられるということではなく、たとえ恐れや不安があったとしても神さまが導いてくださるから大丈夫という力強い約束、神さまにすべてを委ねればいいのだという確信が与えられるのです。その約束への信頼からわたしたちは人を信じるのと同じように、神さまのはからいとその力を信じ、そのみ心に従って生きていくことができるのです。確かにわたしたちのまわりには、困難なことや、自分の力ではできそうもないこと、どうしてよいか分からないことがたくさんあります。けれども神さまは必ず、わたしたちを正しい道に導いてくださり、わたしたちは神さまを信じるときにその導きに気づかされるのです。船が安全に海の道を進んでいけるように。
けれども、大事なことがあります。わたしたちの信仰は自分の力で手に入れられるものではないということです。自分が信じるから信仰なのではありません。イエス様は「『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」と言います。この言葉はわたしたちが赦す側になるのではなく、わたしたちを神さまが赦してくださるということなのです。「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」そう言いながら、神さまは人生の中で七回どころか何度もつまずくわたしたちの側に来られて、わたしたちを赦し、共に歩んでくださるのです。何度でも離れていこうとするわたしたちに神さまは何度でも「信じる」ことの大切さに気づかせてくださいます。神さまの助けがなければ何もできないわたしたちに、わたしたちが生きていく上で、最も大切なことである神さまを信じることを教えてくださるのです。そんな神さまの愛、イエス様の恵みを感謝して受けとめて歩んでいくのが信仰の歩みなのです。わたしたちの人生の道を導かれるイエス様に信頼しましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□57番 「しゅよわたしをあわれみ」
□改訂34番 「キリストの平和」
・友達から忠告されたことはありますか?
・忠告し合える友達はいますか?
・いるとすれば、そのような友達になれたのはどうしてでしょうか?
・いないとすれば、そのような友達を欲しいと思いますか?
・まわりの人を「ゆるし」たことがありますか?それは、どんな時ですか?反対に、「ゆるし」てもらったことがありますか?その時、あなたはどう思いましたか?
準備
紙、筆記用具、かご
活動
1.今までに「悪かったな・・・。」「ごめんなさい」「あんなことしなければよかった」と思ったことはきっと誰の中にもあるでしょう。その気持ちを紙に書いてみましょう。また、高学年の子どもであればなぜそう思ったか、も一緒に。小さい子どもは先生が聞き取って書きます。
2.みんなで一つのかごに入れ、牧師がとりなしの祈りをし、神さまに赦される(赦された)ことを知らせます。神さまの大きな愛をみんなで感じましょう。