①イエスさまは、どんなに小さなものでも、小さなことでも、きちんと見ていて下さる。
・「探し物を見出す」話、三部作のうちの二つ。何れの話(放蕩息子の例えも含めれば)の結びにも「喜び」という言葉が見出し得る。私たちは、神によって育まれている存在なのである。
・イエスはそのようにして、私たちを大切な存在をして見て、受け止められる。その表れとして、神は独り子イエスを私たちのもとに置かれる。ここに神の私たちへの愛を見出すことが出来る。
・羊は広い視野を持ち、そして良い耳を持っている。一方で群れたがる性質を持つ動物である。自分を守ってくれる人や動物の顔を良く覚え、その後に従う。一方で単体ではストレスに弱い。
・「ドラクメ」とはお金の単位。「デナリオン」と一緒であるから、一日の賃金。探し物を見出そうとするのは当然だが、彼女にとっては特に思い入れのある品物だったに違いない。
・失われた羊、見失われた銀貨に準えられているのは言うまでも無く私たち人間。神は私たちの居場所、心の在りかを絶えず気にかけておられる。神の元に私たちが帰ることを喜ばれる。
【導入】大切なものを無くした経験は説教者自身にもあるだろう。無くしたものが、金銭や宝物等の物体であったとき、それを再度見出した時の喜びを語っても良い。自身の経験を通して、神と説教者自身との関係性をこの機会に再確認することも良いのかもしれない。その上で奉仕に臨みたい。
【初めに】皆さんは何か、大切な宝物とかお金を無くしたことがありますか。せっかくもらったおこずかいを無くしたら嫌ですし、誰かから貰ったプレゼントでも無くしたらとても悲しいですね。今まだ見つかっていない人もいると思いますし、一生懸命に探し物をして、見つけて嬉しい思いをした人もいると思います。イエスさまは今日、探し物を見つけた二つの話を私たちにして下さいます。
【羊の話】昔、たくさんの羊を持っている羊飼いが居ました。羊はたくさんいましたけれども、羊飼いにとってはどの羊も大切でした。ところがある日のこと、羊の数を数えていると、一匹足りません。どうしたのかなあと思って探しても、いません。羊飼いは段々と不安になって来ました。狼とかに食べられていないか、泥棒に連れ去られたのか、穴に落ちたりして道に迷っていないかと。羊飼いは一匹の羊を探し始めます。そしてようやく、一匹の羊を見つけました。羊飼いはとても喜びました。
【銀貨の話】また、10枚の銀貨を大切にしている女の人がいました。その銀貨は、女の人にとってとても大切な宝物でした。でも、ある日その銀貨を見てみると、9枚しかありません。一枚はどこかに行ってしまったのです。女の人は一枚を探して一生懸命になりました。今みたいに電気が在るわけではありません。薄暗い家の中で、銀貨は見えにくいですから、それでも女の人は頑張って探すのです。そして銀貨が見つかった時、女の人はとっても喜びました。イエスさまは2つの話をしました。
【イエスさまのお話】イエスさまはこんな話をして、なくしものを見つけた時は本当にうれしい、ってことを言われました。イエスさまはこの話を私たちのためにして下さいます。つまり私たちが、神さまなんか知らない、神さまのことを忘れてどこかに行ってしまうことをイエスさまは悲しみます。でも、そんなイエスさまは私たちのことを一生懸命に探して下さるのです。私たちはイエスさまによって守られ、愛されているものですから、今週もそのことを心に覚えて生活をして行きましょうね。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□108番 「くじゅうくひきを」
□55番(改訂版) 「小さい羊が」
<用意するもの>
厚紙(14×9cmぐらい)、はさみ
①厚紙に泣いている羊をの絵をかき、切り取る。
②表に自分の名前、裏に今週の聖句
「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください。」
と書く。
③1人ずつ、順番に自分の作った羊を、部屋のどこかに隠す。
④他のメンバーで、お友達の迷子の羊を探す。
⑤見つけた人は、みんなを呼んで「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んで下さい。」と言う。
※どこにいても、神さまは必ず私たちを見つけてくださいます。