・狭い戸口から入るとは、どのようなことかを理解しましょう。
・反対に広い戸口から入るとは、どのような生き方かも考えましょう。
・イエス様は私たちを狭い戸口のほうに招いておられます。その呼びかけに応えるのが神の子どもである私たちの生き方であることを伝えましょう。
茶道では文字通り小さく狭い「にじり口」を通って、茶室に入ります。そこを通過するためには、自分の姿勢も低くし、邪魔になる持ち物も置いていかなければりません。しかし、茶室の中に入れば、豊かな時間とすばらしいもてなしを味わうことができるのです。
ある人がイエス様に質問します、「救われる者は少ないのでしょうか?」。この質問にイエス様は「そうだ、少ないのだ」とも「いいや、多いよ」とか、直接答えておられません。ただ、「せまい戸口から入りなさい」と答えておられます。
みなさんは「せまき門」という言葉を聞いたことがありますか?受験や就職のとき、みんながよい学校に入りたい、よい会社に勤めたいと思うわけですから、競争がはげしくなってしまいますね。倍率が高くなってしまうんです。そんな大勢の中で、よい学校や会社に入れるのは、ほんのひとにぎりの人たちだけです。そういう人のことを“エリート”と呼んだりします。
それと同じように、救われて天国に行ける人は、やっぱり少ないと思ってしまいますね。しかし、「救われる者は少ないのでしょうか?」という先ほどの質問にイエス様が直接はお答えになっていないということは、人間の救いを判断するのは、神様だけだとおっしゃりたいのではないでしょうか。神様でもない私たちが、自分が救われるかとか、あの人は大丈夫だろうか、などと言ってみても仕方がないのです。そんなことよりも、今、私たちに与えられているこの時を大切に用いるようにすすめておられます。それが「せまい戸口から入りなさい」という言葉の意味です。この言葉を注意深く聞いてください。戸口はせまいけれども、ちゃんと開いているのです。このせまい戸口を通りますか?それとももっと広い戸口のほうに行きますか?と問われているのです。せまい戸口から入るためには、自分の姿勢をかがめて、頭を低くして入らなければなりませんね。同じように、自分の生き方や友達との関係を振りかえり、反省したり改めたりすることが必要になります。自分を変える必要があるのです。めんどくさいし、楽ではありませんね。それよりも、姿勢を変えたり、生き方を変えたりしないでも通れるような広い戸口を選びたくなるのが私たちかもしれません。でも、せまい戸口の向こうにはとても豊かな世界が広がっています。神様と友達とつながって生きる世界です。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□36番 「しゅイエスのみちを」
□120番(改訂版) 「主イェスの道を」
・広い大きい門は、入りやすい→大勢の人々が流れるように入りますと私たちも流されて入ってしまいそうです。
・狭い門は、入りにくい→自分自身を小さくしないと入れないひとりでしか入れない
・狭い門とは、どんな門でしょう。
1.縦に山折り3回、折り目をつける
2.横に山折り1回、谷折り1回の折り目
3.右上角を左の折り目に合わせ三角に山折り
4.左上角を逆に右の折り目に合わせて山折り
5.全体の折り目のとおりに折りたたむと、二階の家ができる。
(最後の晩餐もペンテコステの出来事もこの2階の部屋)
6.2階のカーテンを斜めに中に折りこむ。
1階の両端を半分に折る
7.広い大きい門
8.広い門の柱の両端を中に折りこむと、狭い門になる