2010年6月20日 聖霊降臨後第4主日
ルカ7:11~17 列王上17:17~24 ガラ1:11~24

今週の聖句

イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。
ルカによる福音書7章14節

ねらい

・この若者の蘇生は、私たちが復活の命に与かることができるしるしである。そして、それは主の復活に基づいている。

説教作成のヒント

・夫に死に別れた女。ただひとり息子だけがいた。その子は彼女の生き甲斐だった。深い悲しみがある。

・13節「憐れに思い」主はこの女の悲しみをご自分の悲しみとされた。

・「もう泣かなくともよい」泣く、悲しみしかない、すべては悲しみで終局するということが覆されるものがある、だから、泣かなくてもよい、ここで主は希望を提示される

・主はご自身から葬列に近づき、「棺に手を触れられた」これは律法で禁じられている行為で、理由は穢れると考えられたから。主はその禁を破る。

・死者は生き返った。これは、主の復活に依る私どもの復活の予兆である。

豆知識

・ナインはナザレの東南10km離れた町。

説教

ひとりの女の人の子どもが死んでしまいました。彼女は、夫が死んでしまっていて、たった一人の息子と一緒にふたりで暮らしていました。この子どもの歳は何歳だったかは書かれてはいません。何歳だったにしろ、お母さんはとってもその子を愛していました。そして、その子と一緒に暮らすことは、お母さんにとって心の支えでした。その子がいるから毎日元気が与えられていたと思います。その子がすくすくと育っていくことが一番うれしかったのです。その子が死んでしまう。お母さんは、とてもとても悲しくて、涙がとめどなく流れて泣いていたのでした。

そこへイエス様が近づかれました。そして、そのお母さんの深い悲しみを見つめられました。イエス様は、そのお母さんの悲しい気持ちを目にして、そのお母さんの気持ちと一緒になりました。とても悲しくなったのです。そして、お母さんがどんなに悲しいだろう、寂しいだろうと思われたのです。イエス様はそれほど心がやさしい方でした。人の気持ちを自分の気持ちとして持たれる方なのです。イエス様はお母さんに言われました。「もう泣かなくてもよい」と。「大丈夫だよ」そういうふうに、言われたのです。

悲しみにある人に、「大丈夫だよ」と言うことはできるでしょうか。それは、とても難しいことです。私たちには、その言葉が言えないと思います。一緒に悲しむことはできるかもしれません。一緒に寄り添うこと、その人が元気を取り戻すまで一緒にいることはできるでしょう。けれども、「大丈夫ですよ、もう泣かなくてもいいのですよ」ということはできないでしょう。

この言葉は、イエス様だから言うことができた言葉です。言い換えれば、神様の言葉なのです。人間が語れる言葉ではなくて、神様が語ってくださる言葉なのです。少し難しいことですね。違う言い方をするならば、イエス様にしか言うことができない言葉というものがあるということなのです。私たちは言うことはできない、けれどもイエス様には言うことができる言葉です。少し難しいことを言いますと、私たちの中から出て来る言葉ではなくて、私たちの外側から語りかけてくださる、神様の言葉というものがあるのです。

私たちが教会学校に来ていますね。ここでは、神様の言葉を聴きますね。たとえば、「私はもうだめだ。もうどうすることもできない。」という気持ちだったとします。そしたら、神様が「大丈夫だよ」と言ってくださったら、どういう気持ちになるでしょうか。神様が守ってくださる。その神様が「大丈夫だよ」って言ってくださる。そんな時、私たちの心は「大丈夫と守ってくださる神様が言ってくださっている」と思って、だから「大丈夫だ。神様に信頼していこう。そういってくださる神様におまかせして進んでいこう。」そういう気持ちになる、元気を与えられる、ということが確かにあるのです。そういう気持ちになったことはありますか。もしもまだだったら、きっとこれからあります。先生もそういうことが時々あります。

日曜日に神様の教会に来て、お話を聴いたりしていると元気になることが確かにあるのです。続けて教会に来て、一緒に神様の言葉を聴いていきましょう。

聖書に戻ります。この子どもはイエス様の言葉で生き返りました。この物語が教えてくれることは、今言いましたことです。つまり、イエス様がその言葉で元気にしてくれる、立ち上がらせてくださるということを教えてくれているのです。

そして、もうひとつだけ言います。イエス様が復活なさったことは聞いたことがあるでしょう。イエス様が復活なさったということが教えてくれることは、私たちも復活することができるということなのです。少し難しいですね。私たちは、誰でも「死」というものを経験しなければなりません。いつかは、私たちも死ぬのです。これは確かです。けれどもです、それでは終らない。私たちにも復活の命というものがイエス様から与えられているのです。人間は死にますが、天の神様のもとでの新しい命が私たちを待っているのです。この地上での死は、神様の国での新しい命の始まりなのです。

今日の聖書の物語は、そのことを教えようとして書かれました。絶望に終らない、希望がある。そのことを教えてくれます。どうぞ、このことを心に覚えていてください。それが、私たちを励ましてくれるのです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□119番 「やさしいめが」

□114番(改訂版) 「やさしい目が」

話してみよう

・人間では語り得ない言葉が、神様の言葉として書かれている聖書を開いてみましょう。ルカによる福音書であれば、6章20節以下、マタイによる福音書であれば、5章の説教は、参考になります。

やってみよう

・6月は花の日の行事の月でもあります。教会の中で1人で暮らしている方、お年を召した方、近所の病院に入院されている人、老人ホームに暮らしている人のことを覚えます。

・私たちが自分のことばかりでなく、人のために何ができるかを考える時になります。

*高学年の子どもたちは何が自分たちで贈りたいか考える時間があってもいいかもしれません。

*幼い子にはキットをつくっておくとのりで貼るだけでむずかしいことはありません。

(教会に制作が好きな方、得意な方がいたら先生として参加していただきましょう)

花のポップアートカード…モールや画用紙を使って飛び出すカード(メッセージや聖句をそえて)

花束をつくる…折り紙、画用紙造花用の紙を用いて花をつくります

かざりもの…紙皿の中心をくりぬき、折り紙、画用紙などで切り抜き貼る。リボンをかけられるといいです。

→次の週(2010年6月27日)に続く