父と子と聖霊はひとつの神様、それは三つが愛で結ばれているので、ひとつの神様なのだということを教える。
・特にありません。
・特にありません。
父と子と聖霊はひとつの神様、わたしたちはそう告白いたします。15節の前半にはこうあります。「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」。ということは、父なる神様が持っておられるものはすべて、イエス様のものである、ということを聖書は言っています。そのイエス様のものを聖霊(わたしたちの弁護をしてくださる、助けてくださる)が受けて、わたしたちに告げる~15節の後半の言葉です。「その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる」。
父が持っておられるものとは、いったいなんでしょう?ヨハネの手紙第一は、神は愛である、そう伝えています。神様は愛であり、神様はその愛に満ち溢れているんです。聖書に従ってみていくと、その満ちあふれる愛はすべてイエス様のものだということが分かります。そして、その満ちあふれる愛を聖霊はイエス様から受けて、わたしたちに与えてくださいます。イエス様が洗礼を受けられたとき、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエス様の上にくだってきた。そして、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神様の声が天から聞こえてきた、そう聖書には記されています。このイエス様に注がれた愛を、神様の満ちあふれんばかりの愛を、イエス様が受けて、それを今度は聖霊がイエス様から受けて、わたしたちにその愛が注がれる。15節のイエスの言葉「その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる」という言葉は、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神様の声が、わたしたちにもかけられるということを表わしています。聖霊は、この「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神様の声を、聖書のみことばを通してわたしたちが聞けるように導いてくださいます。その神様の声は、仲のよい人たちの中にいては決して響いて来ません。自分にいつもあったかい言葉をかけてくれて、自分にやさしくしてくれて、大切な存在として自分を見てくれる人たちの中にいては、決して聞こえて来ないのです。神様の愛は苦しい思いをしているときにこそ、わたしたちの心に染みわたっていく。わたしたちに与えられた聖霊によって、神様の愛はわたしたちの心に注がれている。この神様の愛を、体全体で受け止めて、神様の愛で満ち溢れたい。イエス様が神様の愛でいっぱいに満たされていたように、わたしたちも、神の愛に満たされたい。そして、イエス様のように、人を愛する者になりたい。父と子と聖霊はひとつの神様、それは三つが愛で結ばれているので、ひとつの神様なのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□7番 「かみはうちゅうのつくりぬし」
□95番(改訂版) 「聖霊によりて」
①お父さんが、怒った時、優しい時、働いている時、動物にたとえると何になるかを考えて、1枚の紙に絵を描いてみる。
②動物にたとえると色々あるけど、どれも同じお父さんだよね。怒ったお父さん、優しいお父さん、みんなの生活のために働いているお父さん、みんなが大好きだからいろんな顔があるんだと思います。
③今日は、三位一体主日ですね。神さまは、父であり,み子イエスさまであり、聖霊です。そしてみんなのことが、大好きで、いつも一緒にいてくださいます。