イエスが弟子たちの足を洗い、その愛を実践されたように、わたしたちも互いに愛し合う(大切にし合う)ことを実践し、そのイエスによって示された愛を伝えていく。
・イエスが弟子たちの足を洗ったあとに命じたことであるがゆえに、互いに足を洗い合うこととは、互いに愛し合うことにほかならない。
・愛というものは意味が漠然としているので、互いに愛し合うこと=相手のことを大切にすること、これを理解させる。
・当時、イエスを主と告白する者たちはユダヤ教から迫害され、そのことによってユダヤ教に逆戻りする人々が多くいた。一方、迫害されてでも、その信仰を貫いて生きたキリスト者たちがいた。彼らの証し、それはイエスによって示された「互いに愛し合うこと」であった。つまり、ユダヤ教は「裁き」を実践し、キリスト教は「愛(赦し)」を実践する。そこに、ユダヤ教との「決定的な違い」が示されている。
・わたしたちが、お互いに優しくし合ったり、支え合ったりすること、それが「愛するということ」なのだと、のちに聖霊を通して弟子たちに悟らせる(「聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」26節)。
みなさん、愛って知っていますか?キリスト教でいう愛ってどんなものなのかな?今日の聖書の箇所はイエス様が「互いに愛し合いなさい」と命じておられる場面です。そしてその愛するという戒めをイエス様ご自身が「行ない」をもって弟子たちに示されたのです。その日の夜、外から帰ってきたイエス様と弟子たちは皆、サンダル履きでしたから、土ぼこりで足が汚れていました。本当は弟子たちがイエス様の足を洗って差し上げるべきなのに、今夜のイエス様は、いつもと違います。イエス様は順番に弟子たちの足を優しくていねいに洗ってあげました。きれいになった足は、つるつるでサラサラしていました。「ああ、足がきれいになって気持ちいい」。だんだん、弟子たちの心は優しく、温かな気持ちになっていきました。まるで、イエス様の愛が弟子たちの心に注がれたようでした。全員の足を洗い終わって、イエス様は弟子たちにこう告げられました。「わたしがどうしてみなさんの足を洗ったかわかりましたか?わたしはあなたたちにもはん(みほん)を示したのです」足を洗うことによって、イエス様は弟子たちに愛を見せてあげたのでした。そして、どれほど弟子たちを大切にしているか、それを伝えるためにイエス様はみんなに「愛すること」の見本を示したのです。弟子たちにとって、この夜がイエス様と過ごす最後の夜でした。イエス様は、自分が遠いところへ行ってしまったあと、みんながお互いに優しくし合ったり、支え合ったりするようにと、そしてそれが「愛するということ」なのだと、弟子たちに教えました。
さーて、イエス様が天に帰られたあと、今度は弟子たちがお互いに優しくし合ったり、支え合ったり、相手を大切にすることによって、イエス様がやって見せてくださった素晴らしい愛を行なっていく、そして、多くの人々にその愛を伝えていく番です。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□51番(1,2) 「わたしはしゅのこどもです」
□100番(改訂版) 「世界のこどもは」
①輪になって座る。
②順番を決め、隣の人に「愛してるよ」と心をこめて言う。
③言われた人は「ありがとう。私も愛してるよ」と答え、次の人に「愛してるよ」と言う。
④途中で笑った人は、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」と言って真ん中に座る。
⑤2周目からは、表現を変えて「愛してるよ」の気持ちをそれぞれオリジナルで伝える。
⑥最後まで笑わなかった人の勝ち!
※来週は、母の日です。教会学校参観日をしましょう。お母さんに案内を作ってもいいですね。