1.復活したイエス様が、弟子たちに現われた。
・「あなたがたに平和があるように」というあいさつは「シャローム(平安あれ)」と言う意味。まさにイエスの約束した(十字架により、あがないの業がなされ、神と人との和解がなしとげられ、人間に「平安」が与えられた。
・復活のイエスに出会った弟子たちは、なかなか信じることができず「亡霊」と思う。また41節には「喜びのあまり」信じられなかったとある
・39節に手と足をお見せになった。そして43節に焼いた魚を食べた。それは、十字架で死なれたが、復活され、具体的に人間と親しい交わりを持たれたと言うしるし。
・ヨハネ20:25には「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れて見なければ、わたしは決して信じない。」と言った。人間として当然の言葉だが、同20:29で「見ないのに信じる人は、幸いである。」と言うイエスの言葉が続く。現代を生きる私たちは、この呼びかけに心を開いて信じていこう
イエスさまが、復活されて、弟子たちに現れるようになると、皆いろいろなことを言いました。「信じられないよ。」と笑ったり、「また、うそをいってくだらない。」とか。ヨハネ福音書の20章24節からは、トマスさんと言う人がいて、皆がイエスさまに会ったのに自分だけ会わなかったので、「十字架の釘の跡に指を入れて、わき腹に手を入れないと信じない。」と言いました。イエスさまは現れて、体に触れさせてその通りされましたが「見ないで信じる者は幸い。」と信じることの大切さを話されました。
復活されたイエスさまは天に昇り、私たちは現在地上で見ることは出来ませんが、聖書の言葉や、礼拝を通じて、見ないで信じることが出来ます。
教会では、「聖餐式」があります。パン(ウエハース)とぶどう酒が一人一人に配られます。これはイエスさまが、「私の記念のために、これを行いなさい。」と言われて、パンはイエスさまの体、ぶどう酒はイエスさまの血を意味します。そして神様の子どもであるイエスさまが「人間」となって、私たちと同じように「食事」を一緒にされたことが記念とされます。それは、今日の聖書の焼いた魚を一切れを、みんなの前でパクパク食べたという出来事が、証明していますね。私たちの生活の中で、一緒に食事をするときほどうれしいことはありません。礼拝で、イエスさまを身近に感じてください。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□115番 「イースターのあさはやく」
□88番(改訂版) 「イースターのあさはやく」
・十字架って何でしょう
・イエス様の十字架について考えましょう。
・A4の白紙を参照図のように折りたたみます。
・図4の形にして縦に3分の1のところをきります。
・Aの方に開くと「十字架」になります。この十字架にイエス様はかけられました。
・Bの紙片を十字架の上下に並べると「王」になります。
・上の線が「天」、下の線が「地」、天地の間に立つ十字架は王ですね。イエス様は、王さまたちの中の王さまです。台紙にはりましょう。