1.復活されたイエス様に出会った弟子の喜び。現在の私たちの喜び。
・二人は、一人はクレオパ、もう一人も弟子。両方、イエスの弟子であることに意味を失い、エルサレムを離れて、おそらく故郷と思われるエマオという村に帰る途中。
・二人は、イエスと会い、話して、食事をする中で、心が通じ「イエス」だとわかった。
・30節「パンを裂いてお渡しになった。」この場面はまさに聖餐の場面
・「二人の目は遮られていて」(16節)二人はイエスの十字架の苦しみと死に意義を見出すことが出来ず、悲しみに打ちひしがれて暗い気持ちになっていた。婦人たちの言ったこと(22節)にもまだ半信半疑。
・今の私たちは復活したイエスとどのような場で出会えるか。聖書を読む中で出会う。隣人に愛を持って接する中で、イエスのみ心に出会う。聖餐式を行うことで(イエスを記念して行い)思い出す。などイエス様は、世の終わりまで、私たちと共におられる。
アンパンマンのこんな歌を知っていますか。
「なんのために生まれて、なにをして生きるのか。わからないまま終わる、そんなのはいやだ。
忘れないで夢を、こぼさないで涙
だからぼくは行くんだ、どこまでも・・・・。」
確かに、生まれてきて、あと何年か生きていく私たちですが、「こんなふうに生きたいな。」とか、持っている夢をかなえていきたいなという希望が少しでもあると楽しいですね。なかったら、生きている時間の意味が空しくなってしまいますね。
今日の二人のお弟子さんは、実はイエスさまを信じて生きてきたのに、イエスさまが十字架で死んだのでショックでガッカリして、もうイエスさまのことを忘れたほうがいいとも思っていました。「復活して生きている。」と言うニュースも信じませんでした。けれど、故郷エマオへ向かう道で、復活したイエスさまご自身が現れて、二人に近づき「昔から言い伝えられている救い主のこと」を詳しく話して教えてくれました。その時は、二人はイエスさまとわかりませんでしたが、後で一緒に食事をしたとき、わかったのです。
私たちも、聖書の中で、イエスさまに出会うことが出来ます。天からいつも見守ってくださっています。あなたの夢も必ず導いてくださいますよ。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□115番 「イースターのあさはやく」
□54番(改訂版) 「ガリラヤの風かおる丘で」
・自分の家から教会学校までどのように来ますか。
・誰かと一緒に来ますか。
・途中どんなお話をしますか
・弟子たちは歩きながらいっぱいお話をきいたのに、その方がイエス様だと気づきませんでした。
・旅先の宿の食事の時、イエス様はパンを祝福して弟子たちに手渡されました。この時はじめてイエス様が一緒に歩いてくださったのだと分かりました。
・自分の家、教会を両端にして、途中の道順を書いてみよう。電車やバスを利用する時はその駅や停留所から教会までの道順を書いてみよう。
・教会堂を折り紙でつくって、その地図を貼ってもいいですよ。(図参照)