・メシアであるイエスさまが、私たちを救うために十字架について下さったことを学ぶ。
・焦点となる事柄が複数あるが、1回の説教で複数の事柄を学ぶのは困難である。焦点をどこにあてて学ぶかを絞って説教を組み立てる必要がある。
・ここでは、ペテロの「あなたは、メシアです」、という応答に注目して、イエスさまがメシアであることの意味を学ぶ説教とした。
・「メシア」は、もともとヘブル語で、「油を注がれたもの」を意味する言葉である。
・油注ぎは、神さまから与えられた、特別な使命を果たすために、神さまが特別な力を王や預言者に注がれることの象徴的行為であった。
・この「油注がれたもの」=メシアが、神さまから使わされた救い主を意味する言葉となっていった。
・ギリシャ語の聖書を日本語に翻訳するにあたって、新共同訳聖書は、ヘブル語の「メシア」に相当する「クリストス」という単語を、救い主の称号として使われている箇所では「メシア」、イエスさまの固有名詞のように使われている箇所は「キリスト」と訳し分けているのある。
みなさんが尊敬するのは、どんな人ですか?お父さんやお母さん、サッカーや野球の選手、幼稚園や学校の先生、学者さんや総理大臣を尊敬している人もいるかもしれません。みんなが尊敬している人について、友だちどうしで話しあうこともあるのではないでしょうか。
イエスさまも、みんなにわかりやすく神さまの話をしたり、病気の人を治したり、不思議なわざをたくさんなさったので、町や村のいろんな人が、イエスさまについていろんなうわさ話をしていました。人気抜群だったのに悪い領主によって殺されてしまった洗礼者ヨハネが生き返ったのだろう、とか、聖書に書かれた昔の偉い預言者が生まれ変わったのだろう、という人たちもいました。でも、その時は誰ひとりとして、イエスさまが本当は誰なのか、ということは知らなかったのです。
そこでイエスさまは、お弟子さんたちに、あなたたちは私が誰だか判りますか?と、お尋ねになりました。このイエスさまの質問に、ペテロさんが代表して、「あなたはメシアです」、と答えました。そしてこの答えは、大正解だったのです。
さて、ではメシアというのは、どういう意味でしょうか。メシアというのは、「みんなを救って下さる方」、という意味です。「みんな」というのは、お弟子さんたちだけのことではなくて、イエスさまのことをうわさ話していた人たちも、そしてそれから2000年後に生きているわたしたちのことまで、ぜんぶ含めて、本当に「みんな」、ということです。
ではイエスさまは、いったいどうやって、わたしたちまで救って下さる、というのでしょうか。神さまには、そのための特別の計画がありました。それは、イエスさまが十字架につかれることです。イエスさまは、何も悪いことをなさらなかった方でしたが、わたしたちやお弟子さんや、イエスさまのことを信じなかった人たちも含めて、みんながした悪いことの全部の責任を背負って、十字架につかれたのです。そしてそのことによって、イエスさまは、みんなの人を救うという神さまの計画を完成されたのでした。
イエスさまは、その計画をお弟子さんたちに話しましたが、ペテロさんをはじめ、お弟子さんたちは、そのときには、まだその計画の意味がよくわかりませんでした。けれども、イエスさまが本当に十字架につけられた後、神さまの力によってそのことの意味を本当に理解して、イエスさまの救いについて宣べ伝える人になっていったのでした。
わたしたちも、お弟子さんたちが伝えてくれたイエスさまの十字架の意味について、しっかり考えていきたいと思います。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□118番 「イエスさまとよんだら」
□改訂版126番 「うたいましょう」
牛乳パックで十字架を作ってみる。1000mlを縦に2個つなぎ、500ml2個を両横につなぐ。人数がお多いときはパックを増やしてもっと大きな十字架を作ってみよう。
ゲーム
子どもたちは輪になって座る。鬼が一人輪の外にでて十字架を持つ。皆が歌っている間に鬼は十字架を持って皆の後ろを歩きそっと誰かの後ろに十字架を置く。ハンカチ落としの要領でみんなは手を後ろにやって十字架がないか探る。十字架を見つけた人は十字架を持って鬼を追いかける。追いつかれる前に席を立った人の場所に鬼が座ったら勝ち。十字架を置かれた人が鬼になる。十字架を持った人に追いつかれたら鬼はもう一度違う人の後ろに十字架を置く。
♪じぶんのじゅうじかをせおっておいでー(くり返し歌う)
上級生
牛乳パックで十字架を作って白い紙で貼る(字がかける様に)
自分の十字架って何だろう?話し合って自分の十字架だと思うもの、思う事を十字架に書き込んでみる