①この箇所は「ヤイロの娘」のいやしと、「イエスの服に触れた女」のいやしの二つの出来事が記されている。ここでは、「ヤイロの娘」の出来事を中心に据えることにする。どちらにも触れてもよいし、片方にだけ触れてもよいであろう。但し、両方に触れる場合は、話の中心をどちらかに絞った方がよい。
②娘が死んだと聞いて、ヤイロは望みを失ったに違いない。しかし、イエスは「ただ、信じなさい」と言われた。私たちの思いでは、あきらめるしかないように思える出来事であっても、あきらめずにイエスに委ねていくことの大切さを伝えたい。
・「会堂長」:人々の宗教生活の中心であった会堂で行われる礼拝や運営や、その建物の監督、管理を行っていた。
・「出血」:レビ15:25には、出血の止まらない女性に触れると「汚れる」と規定されている。
・「十二年間」と「十二歳」:出血の止まらない女性が病にかかっていた年月と、少女の年齢が同じ十二年である。病を考えると長いと思えるし、少女の命を思うと短いと感じる。
ヤイロさんは、走ってきました。ヤイロさんの娘、十二歳になる女の子が病気のために死にそうだったのです。病気を治してくださるイエス様が、隣の町にこられると聞いて、急いで走ってイエス様の前にやってきたヤイロさんは、ひれ伏して、「イエス様、私の娘が病気で死にそうなのです。どうか、直してやってください」とお願いをしました。イエス様は、ヤイロさんの言葉を聞いて、すぐに隣町のヤイロさんの家に向うことにしました。ヤイロさんとイエス様、その後ろにイエス様のお弟子さんたちや大勢の人がついてきます。ヤイロさんは、こうしている間にも、娘が死んでしまったりはしないだろうかと、心配でたまりませんでした。
途中で、イエス様が立ち止まりました。ヤイロさんはどうしたのだろうと後ろを見ました。イエス様は、振り返って「わたしに触ったのはだれですか」と、後ろからついてきていた大勢の人たちを見ています。誰かが、イエス様の服に触って、イエス様から病気を治す力が出ていったというのです。お弟子さんが言いました。「こんなに大勢の人がついてきていたのですよ。誰が触ったかは、分からないんじゃないでしょうか。」ヤイロさんも心の中で「そうです。イエス様、早く行きましょう」と何度も繰り返しました。けれども、イエス様は、大勢の人々を見ています。
すると一人の女の人が、「触ったのはわたしです」とイエス様の前に進み出て、どうしてイエス様に触ったのかということを話し出したのです。ヤイロさんは、待つしかありません。やっと、女の人とイエス様との話が終り、出発しようとした時です。ヤイロさんの家から何人かの人がやってきて、「お嬢さんは亡くなられました」と言ったのです。ヤイロさんは「あー、間に合わなかった」と、がっくりしました。けれども、そんなヤイロさんにイエス様は「心配することはありません。ただ、信じなさい」と言われたのです。そして、ヤイロさんの家に行き、女の子のいる部屋に入りました。イエス様は、女の子の手をとって「タリタ、クム」と言われました。「少女よ、あなたに言います。おきなさい」という意味です。すると、女の子は、起き上がったのです。
ヤイロさんは、女の子のことをとても心配していました。けれども、イエス様も、女の子のことも、ヤイロさんのことも、とても大切に思い、心配していたのです。そして、イエス様はヤイロさんに、どんな時にも、あきらめずにイエス様にお願いし続けることの大切さを教えたんだね。イエス様は、私たちのことも、大切に思っていてくださいます。どんなときに、もうだめだと思うようなときにも、イエス様が私たちのことを大切に思っていてくださることを忘れないでいたいですね。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□61番 「いつくしみふかき」
□改訂版130番 「いつくしみ深い」
□横になった子どもに「○○(子どもの名前)、クム」と呼びかけ、手を引いて起こす。
□イエスさまの「~しなさい」という言葉をいくつか思い出してみる。
「わたしにつながっていなさい」ヨハネ15:4
「互いに愛し合いなさい」ヨハネ15:17
聖餐式のときの「取って食べなさい」「取って飲みなさい」も牧師の言葉ではなくイエス様の言葉であることを改めて考える。
□少し大きい子どもには・・・。
イエスさまから呼びかけられる「起きなさい」と何か。
その人によって違う意味を持つのかもしれない。
(心を開く。暗い気持ちから抜け出す。平安な心で過ごす。)
教会に来ている大人の人にも聞いてみよう。