①律法学者たちは、イエスが悪霊を追い出しているのは、イエスが悪霊の頭だからであると考えたが、これに対し、イエスは「どうして、サタンがサタンを追い出せよう」と言われた。律法学者たちが考えたようにではなく、イエスが、愛を持って私たちの心に来てくださることを考えたい。
②「聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず」は、難しい箇所である。イエスを救い主として信じるためには、聖霊の働きが不可欠であるから、聖霊を否定しては、イエスによる救いを得られないということか。
・「身内の人たち」:この頃、父ヨセフは死んでいたと考えられている。マルコ6:3によれば、イエスには4人の弟と2人以上の妹がいたことになる。
・「ベルゼベル」:悪霊の頭の名前、サタンの別名。
問題(クイズ)です。私たちは教会でいつもイエス様のお話を聞いています。それでは、イエス様がおられるのは、どこでしょうか。1番、天におられる。2番、目に見えないけれど、私たちのすぐそばにおられる。3番、私たちの心の中におられる。1番だと思う人?2番だと思う人?3番だと思う人?・・・正解は、1番と2番と3番です。みんな、正解なんだ。イエス様は、天におられるし、私たちのすぐそばにもおられるし、私たちの心の中にもおられます。
今日は、その中の3番、私たちの心の中におられるということを、考えたいと思います。
イエス様は、私たちの心の中にいてくださるんだけど、私たちの心の中に無理やり入ってきたりはなさいません。無理やり入ってくるのは、強盗です。無理やり入ってきて、私たちに心の中にある優しい気持ちや、素直な気持ち、イエス様を喜ぶ気持ちを奪い取っていこうとするんだね。
イエス様は、私たちの心の中に来てくださって、そんな優しい気持ちや素直な気持ちを奪っていこうとする強盗を追い出してくださるんだけど、さっき言ったように、イエス様は、無理やり入って来られません。私たちが自分の心にイエス様に来ていただきたいと思うときに、イエス様は来てくださるんだね。
こんな話を聞いたことがあります。私たちの心には、扉がついています。扉の中が私たちの心です。扉には、普通、取っ手(ノブ)が付いているよね。だけど、心の扉には、内側にしか取っ手が付いていないんだって。だから、扉を開けることができるのは、内側にいる自分だけなんだ。(強盗は、窓なんかから、無理やり入ってくるのかな。)そして、イエス様は、私たちの心の扉の前に来て、扉をノックされるんだよ。「○○さん、あなたの心に来ましたよ」って。だけど、扉には、取っ手がついていないから、イエス様から扉を開けて、私たちの心に入ってくることはできないんだね。私たちが、内側から扉を開けて、イエス様をお迎えしなければ、私たちの心には、来られないんだ。
イエス様は、私たちの心に来てくださって、私たちにうれしい気持ちや安心する気持ち、優しい気持ちや、素直な気持ちをくださろうとしています。いつもです。いつも、イエス様は、私たちの心の扉をノックしてくださっているんだね。私たちも喜んで、イエス様を自分の心にお迎えしたいと思います。イエス様と一緒に、安心して、うれしい気持ちになって、周りにいる人たちにも優しくなれて、みんなが優しい気持ちになれたらいいですね。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□60番 「かみよわたしの」
□改訂版7番 「イェスさま きょうもわたしを」
<用意するもの>
□どちらかの風船(ここでは赤)を神さまに従う心に、また、もう1つの風船(青)をわたし達を神さまから引き離そうとするサタンに見立てる。たとえば、
・疲れて電車で座っているときに、おじいさんが乗ってきた!
・意地悪されている友だちを見た。声をかけようかな・・どうしよう・・・。
・落とした荷物が散らばってしまった人を見かけた。急いでいるんだけど・・。
こんなとき私たちの心の中に膨らんでいるのはどちらの色の風船だろう?どちらの色の風船を膨らませたい?1つの心の中で2つの風船を膨らませたりしぼめたりしながら心の動きをみんなで考えてみる。
□「今、ここにイエス様がいたら、どうさなさるだろうか」をひとつのヒントとして示す事もできる。
□結びに「かみさまが喜ぶ事ができる子どもにしてください」、と心を合わせて祈る。