・主の昇天がただの別れではなく、新しい始まりであることを受けとめたい。
・ルカ福音書の昇天の記事は二つの場面からなっている。一つは聖霊を送る約束と天に上げられる場面である。どこでこの出来事が起こったのか、そして、その後、弟子たちはバラバラに宣教を始めたのか。主の働きなくして弟子たちの働きはないのである。
・ルカ福音書の続きと考えられているのは使徒言行録である。そのため、ルカ24章と使徒言行録1章はイエス様の昇天の記事でつながっている。
・ルカ福音書は始まりも神殿で始まり、終わりも神殿である。教会なくして福音の前進はない
・45節でイエス様は「彼らの心の目」を開かれる。これまでイエス様と共にいながら、彼らの心の目は開かれていなかったか、または十字架という悲しい出来事のために心の目が閉ざされていたのである。エマオへの道で歩き終え、宿に入った後、一緒に歩いていたのがイエス様だと分かったのも「目が開けた」からであった。
学校では新しい学年になる時には同じ先生が続くこともありますが、担任の先生が代わりますね。もし、今日から担任の先生はいませんと言われたらみんなはどうやって勉強したらいいか、明日の授業は何か、色々なことで困るでしょう。大切なことを教えてくれる人は必要です。
イエス様と弟子たちにもお別れをしなければならない時が来ました。イエス様は天に昇っていかれ、これから弟子たちは自分で考えて歩んでいかなければなりません。前の担任の先生のことを覚えているように、すぐれた指導者であったイエス様が去って行かれることは弟子たちにとって大きな不安となり、心の中にぽっかり穴が開いたような感じで、とまどいを隠すことができませんでした。これからどう生きていったらいいか、みんな悩みました。
もちろん、イエス様は不安の中にいる人たちを放っておかれる方ではありません。イエス様の言葉がたくさん語られた神殿からイエス様は天の神さまの元に帰って行かれますが、約束をしていってくださいます。「父から約束されたものをあなたがたに送る」と。たとえイエス様がおられなくても大丈夫。勝手に生きるのではなく、イエス様の約束された新しい導き手を受けてから歩みだしなさいと教えてくれました。そして、不安の中にある弟子たちの心を開いてたくさん言葉を教えてくれました。
イエス様は最後にみんなに祝福をしてくださいました。みんなが礼拝で祝福を受けるのと同じです。愛しているあなたに神さまの守りと助けがあります。そうイエス様が宣言されています。一人のように思っても決してイエス様の祝福は離れることはありません。イエス様の愛は変わりません。今日もイエス様の祝福を受けて、新しい歩みをしていきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□118番 「イエスさまとよんだら」
□改訂版131番 「悲しいことがあっても」
<用意するもの>
ビニール袋(わの部分を切って四角形にしておく・1枚で二人分とれます)、セロテープ、糸(同じ長さ30センチくらいに切っておく・1人4本使います)、油ねんど、アルミホイル、マジック
①ビニールにイエス様の顔を書く。
②糸をビニールの4隅にセロテープでくっつける。
③4本の糸を一つにくくり油ねんどをかぶせるように丸く包む。(重しになります)※粘土が大きすぎると飛びません。
④ねんど部分をアルミ箔で覆います。
「今日はイエス様が天に昇られた日です。イエス様パラシュートを飛ばしてみましょう。」
予告
来週はペンテコステです。みんなでフルーツポンチを作ります。1人1つずつ入れたいものとエプロンを持ってきましょう。例)りんご、いちご、バナナ、果物の缶詰など
・牧師さんは、礼拝の中で祝福をされる時、どういうふうにしているでしょうか?よく見てみよう。ルカ24章50節を読んで、牧師さんのするしぐさと何か関係のあることはありましたか?
・自分たちの目の前でイエスさまが天に昇られていくのを見て、弟子たちはどんなことを考えていたでしょうか?想像してみましょう。