・イエス様はわたしたちのことを「友」と呼んでくださり、その愛の大きさを示されるために十字架へと向かわれたことを覚えたい。
・イエス様が十字架にかかられる前の別れの説教である。ただの愛の倫理規定ではなく、実践を伴った愛の姿がこれから示される。命の大切さを受けとめた上でその命を投げ出しても救おうとしたイエス様の愛の大きさを受けとめたい。
・隣人を自分のように愛しなさい-レビ記で示された愛の倫理規定
・わたしが愛したように-イエス様の愛が基準になった。新しい愛の掟。
・「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。…愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」(Ⅰヨハネ4:16-18)
今からちょうど百年前、北海道の塩狩峠で一人のキリスト者の青年が亡くなりました。客車の連結器が外れて一番最後の車輌だけが坂を降り落ちていきました。ゆっくりとゆっくりと後ろに走り出す車輌の中にいた人たちはとっても怖かったと思います。二十人くらいの人がその車輌には乗っていたそうですが、脱線したらみんな死んでしまいます。長野さんという青年は国鉄の職員でしたが、お休みの日でしたが隣の町の教会に行った帰りにその列車に乗っていたので、急いで外に出て、ブレーキをかけました。でも、客車は止まりません。みんな、もうダメだと思った時、突然、客車は止まりました。みんなが良かったと喜んでいても長野さんは戻ってきませんでした。客車は長野さんの体を踏んで止まったのでした。そのことを知ってみんなが涙を流しました。
わたしたちの命は神さまからいただいた大切な命です。かけがえのないものです。一度失ってしまってはもう二度と手に入りません。大切にしなくてはならないものです。でも、それと同じくらい大切なものもあります。それは「真の友」です。心から信頼できる人です。イエス様と弟子たちの関係は先生と生徒という関係を越えて、イエス様は弟子たちのことを「友」と呼んでくださいました。こんなに嬉しいことはないでしょう。そして、今、わたしたちのことも「友」と呼んでくださいます。イエス様はご自分のことをすべてわたしたちに知らせ、分かち合ってくださったのです。そして、友であるわたしたちのために命まで投げ出してくださいます。それが十字架にかかることでした。
どうしてイエス様はご自分の命を投げ出せたのでしょうか。それはわたしたちのことを本当に愛してくださっていたからです。本当の愛は友のために命を捨てるほどの力を持っています。「互いに愛し合いなさい。」とイエス様は言われます。本当の愛を多くの人に伝えましょう。友とは近くにいる人だけではなく、神さまが愛されている一人一人だということを受けとめて。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□141番 「ウリエイウッソン」
□改訂版108番 「ウリエイウッソン」
<用意するもの>
生協のチラシ又は新聞紙をひろげて横長になるように切ったもの。(4分の1くらい)、はさみ、マジック
①横長の紙を半分に折る。
②もう1度半分に折る。(計4回折る)
③人間の形にはさみで切る。
④広げて1人1人にみんなの顔と名前を書く。
・「互いに愛し合う」って、どういうふうにすることだと思いますか?みんなで話し合ってみよう。