・わたしたちが生きていく=よい実を結ぶことができるのは神さまに、イエス様につながっているからであることを受けとめたい。
・まことのぶどうと言われるにはまことでないぶどうもあることを意味する。わたしたちは純粋なよいぶどうになりたいと願っているが、そうなるためには条件がある。一人の力ではそうなれないことを受けとめて歩みだしたい。
・ぶどう-聖書の中の果物としては最も多く出てくる。実に440回に及ぶ。旧約聖書ではイスラエルの民がぶどうの木に譬えられ、働きや生き方が実と譬えられた。
・手入れをする-ぶどうを栽培し、良い実を結ばせるためには手間がかかる。実のならない枝は切り捨て燃やすしか何の役にもたたない。
・つながっている-わたしたちが自分の力でつながっているのではなく、イエス様がつなぎとめてくださっている。栄養分をくださっていることを忘れてはならない。
教会の礼拝堂にはきれいなお花が飾られています。花瓶に入れられた花は切り花ですね。切り口から水を吸って生きていきますが、長くは生きていられません。花には水だけではなく、土からいただく栄養分が必要なんです。人間も水を飲んでいればしばらくは生きていけますが、食べ物を食べたり、栄養分をとらないとやせてしまいます。
今日、イエス様はわたしはぶどうの木であると言われます。そして、わたしたちは枝だと言われるのです。想像してみてください。ぶどうの木があり、枝があります。当然くっついていますね。きっとその先にはぶどうの実が豊かになっていることでしょう。でも、もし、ぶどうの木と枝が離れていたらどうでしょう。枝はしばらくは生きていられてもすぐに枯れてしまいますね。水も栄養分もなくなってしまっては豊かな実も結べません。木と枝がくっついているからこそ、ぶどうの木は豊かな実を結ぶことができるのです。
わたしたちはぶどうの実がおいしそうにできるように、善き人間として成長していかなければなりません。そのために必要なのは栄養分です。体の栄養分だけではなく、心の栄養分も必要です。それは神さまの愛です。イエス様のみ言葉です。それらがなければわたしたちは枯れてしまいます。神さまの愛とみ言葉をいただくために、わたしたちはイエス様につながっていなければなりません。でも、大事なのは自分の力でつながっているだけではなく、イエス様がつなぎ止めてくださっている、イエス様が離されないということを知ることです。「わたしの愛にとどまりなさい。」と言われるイエス様の愛に留まることが多くの人が喜んでくれる実を結ぶ人生になるのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□73番 「しゅイエスはまことのぶどうのき」
□改訂版60番 「主イェスはまことのぶどうの木」
<用意するもの>
マグネットシート(100円ショップでも売っています)、油性マジック、はさみ又はカッター、プレゼント用の袋、リボン
※あらかじめシートを5~6センチ角(1人分)に切っておく。
①マグネットシートに好きな絵を書く
例)お母さんの顔、お母さんの好きな物など
②絵に沿ってハサミで切ると冷蔵庫マグネットのできあがり
きれいにラッピングして、お母さんに感謝の言葉を添えてプレゼントしましょう。
・お母さんを教会学校に招待して親子で作ってもいいですね。
・ぶどうの木は、どういうふうに植えられていて、どんなふうに育つのでしょうか?調べてみよう。イエスさまの時代のぶどうの木のことも調べられたら、調べてみよう。
・“つながっている”というのは、どういう状態でしょうか?“イエスさまにつながっている”とは、どういうことでしょうか?