① 復活の主が語る「新しい言葉」を私たちの手で、口で伝えてゆく大切さを伝える。
② 「復活」は科学的検証の事柄ではなく、「信じる」事柄であることを伝える。
・メッセージを伝えるあなたにとって「キリストの復活」とは何かを祈り、黙想する。
・本単元の結びにあたる 9 節以下からの部分が〔 〕(カッコ)つきであるのは、新共同訳聖書の「凡例」が示すように「後代の加筆と見られている」ことを示すためである。この部分は元来、有力な聖書写本には欠けており、かなり後代の写本になってようやく登場したという経緯を持つ。本来、マルコによる福音書は 16 章 8 節で完結していたと思われるのだが、マルコの意志を継ぐ人々は、復活のキリストのマリアと二人の弟子たちへの顕現、11 弟子たちへの派遣の出来事を付け加えることなしには、どうしても福音書を完結させることができなかったのである。ここに、教会の正統な、熱い信仰が表明されているとみるべきだろう。
・「マグダラのマリア」(9 節)…「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた」マリアのところへ真っ先に復活のキリストが現れたのは、彼女自身と人々が、イエスの復活によってもはや死に支配されることなく、それを完全に克服した(七は完全数/創世記 2 章 1~3 節)、神によってつかまれた新しい命に生きることを示すためである。
・マグダラのマリアと二人の弟子たちから復活のキリストの顕現の知らせを聞いても「信じなかった」者たちがいたことが、3 箇所も記されている(11、13、14 節)。復活というある意味、超自然的な出来事はそう簡単に信じられることではないかもしれないが、復活はどこまでいっても、科学的に証明することができないのである。やはり「信じる」ほかない事柄なのである。復活のキリストがトマスに語られた言葉(ヨハネ 20 章 28 節)、またパウロの言葉(ローマの信徒への手紙 10 章 14~17 節)を思い起こす。
・復活のキリストは弟子たちに、信じる者には「悪霊を追い出す」しるしが伴うことを告げられるが、宣教命令の目的は、悪霊を追い出すこと以上に、「新しい言葉を語る」ことにあった。これまで誰も一度も聞いたことがない新しい言葉を、復活のキリストにおける「新しい福音」を、出会っていく者一人ひとりに、「あなたの手で、あなたの唇を通して届けなさい」と言われるのである。
イエス様が復活された朝のことです。よみがえられたイエス・キリストは、真っ先に、マグダラのマリアへとご自身を現されました。復活して、いの一番に出会いに行かれるのですから、イエス様にとって、このマリアがとても大切な、愛するひとりの弟子だったことが分かりますね。福音書を書いたマルコは彼女について、「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人」(16 章 9 節)と紹介しています。
「悪霊」は聖書にたびたび登場しますけれど、聖書の時代には病気の原因とも考えられていましたし、悪霊を追い出すことは病気のいやしと等しいことでもあったのです。また、神様に敵対する力として考えられていました。
悪霊に関わる話に挟まれて、十字架の出来事以来、恐れと、イエス様を見捨ててしまった後悔から、部屋に閉じこもっていた弟子たちの姿が描かれています。そこへ復活のキリストが現れ、不信仰とかたくなな心をおとがめになりました。復活というのは、ある意味、わたしたち人間の理解を超えた、超自然的な出来事です。そして、そのことはどこまでいっても「ほんとうに起こったのか。だとすればどのように起こったのか?」という風に、歴史的・科学的に「証明」することができないのですね。そうです。復活はわたしたちが、みなさんが「信じる」ほかない出来事であるのです。イエス様の死を泣き悲しんでいたにもかかわらず、マグダラのマリアや二人の弟子たちからの復活の知らせを信じることができない人々の姿には、自分自身の悲しみの中に閉じこもってしまって抜け出すことができない「かたくなさ」が表れています。
イエス様は弟子たちに、信じる者には「悪霊を追い出す」しるしが伴うゆえに、そのしるしを携えて全世界に行き「すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(15 節)とおっしゃっています。けれども大切なのは、悪霊を追い出すこと以上に、「新しい言葉を語る」ことにありました。「新しい」というのですから、これまで誰も、一度も聞いたことがない言葉、「今、あなたのために語られる、とっておきの喜びの言葉」ということです。マリアと二人の弟子たちは、この「キリストはよみがえられた!」という喜ばしい知らせ(グッド・ニュース)を人々に知らせに出かけて行きました。それは、何よりもまず、その知らせを聞いたマリアや二人の弟子たち自身が「喜びに溢れた」からでしょう。くじける心、悲しむ心、疑い迷うかたくなな心、ぽっかりと穴が空いてしまったかのようなからっぽの心・・・そんな心によって満たされないでいる人たちのところに、キリストからの「とっておきの喜びの言葉」を伝えに出かけようではありませんか。
「全世界」とは、どこか遠いところに向かって出発しなさいということではなく、私たちの置かれている今ここでの日常生活のこと、わたしたちのごく身近でキリストの御言葉を必要としている人のいるところです。キリストは言われます「さあ、行こう」と。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□115B 番 「イースターのあさはやく」
□改訂版88番 「イースターのあさはやく」
色画用紙を何色か用意して 1/4 くらいの大きさに切り、半分に折っておきます。
用意した型紙(★雲に乗ったイエスさま、十字架)を使って輪郭をとり、はさみでカットします(まちがってバラバラになるのも学びです。広告などで試してから画用紙を使うのも一案。)広げて白い画用紙に貼ります。
「イエスさまはよみがえりました」またはこの日の聖句「全世界に行って、すべての造ら
れたものに福音を宣べ伝えなさい。」を書きます。
・弟子たちは、イエスさまの復活をすぐに信じられませんでした。どうしてでしょうか?みんなで考えてみ
ましょう。
・「信じられなかったけど、それは本当だった」そういう経験をしたことがありますか?
・弟子たちは、イエスさまの復活を知って、衝撃を受けたでしょう。すばらしいことを知った時、そのこと
を誰かに伝えたくなりますか?あなたならどんな気持ちになるでしょう?